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第27回 アサヒシューズ株式会社

日本製への拘りと独自の販路開拓によって育成されたブランド「快歩主義」第2回


執行役員 / 営業・商品本部戦略ブランド販売部 
快歩主義グループ ブランドマネージャー
穴井 政春氏

創業以来120年以上に渡って、高品質の靴を作り続けてきたアサヒシューズ株式会社。確かな技術と信頼の背景には、国内工場製造への深い拘りがありました。
そして、今シニア市場で話題の商品「快歩主義」は、健康・快適シューズ市場においてNo.1のブランド(※)に成長しています。(※2012年シューズポスト紙調べ)

今回は、この「快歩主義」ブランドの育成と販路拡大を含め、アサヒシューズのシニアマーケティングへの取り組みについて深くお話をお伺いします。

2018年5月取材

 

 


シニアマーケットへの事始め ~ 会社更生法適用時代を経て

【SLS】御社は早い時点(1999年頃)にすでに高齢者マーケットに着手していますが、当時の背景をお聞かせください。

 

【穴井】高齢化が加速する日本では、要介護の基準、サービス運営基準など、公的介護保険の詳細について定めた法律である介護保険法が1997年に制定され、2000年より施行された時代背景があります。
当時の商品開発テーマとして、「21世紀の高齢化社会へ対応する商品開発構想」を掲げ、シニア向け商品の開発に着手しました。
またこの頃の靴市場は、すでに韓国製、中国製など海外生産製品が席巻しており、価格競争が激化していました。これは国内の自社工場で生産を行っている弊社にとって苦しい状況でした。
そこで方針を転換し、自社工場だからこそ作れる他社には真似のできない付加価値を持った商品を開発する必要がありました。そしてそのような商品は高齢者マーケットにこそ需要があると考えました。

 

【SLS】では、国産に拘ることが高齢者マーケットへたどり着くきっかけだったということですか?

 

【穴井】そうです。更に掘り下げると、弊社が1998年に会社更生法の手続きを申請したという実情が背景にあります。つまり倒産です。
当時、弊社の主たる取引先は、商店街の靴屋さんでした。
大型ショッピングセンターはまだ少なく、商店街に元気があった時代です。
売上自体はあったのですが、その実態は苛烈な安売り競争に苛まれ、利益は非常に少なかった。
売れれば売れるほど、その翌年に小売店から仕入原価を下げるよう要請が来ました。「あと1%引いてくれ」と。
厳しい要請ですが、しかし取引先を切るわけにはいかないから泣く泣く値引きする。
結果として、売っても売っても経営が苦しいという負の連鎖が続き、過剰在庫もあり最終的に倒産に追い込まれました。
当時の反省も踏まえ、現在は商品の価格を下げないという原則を守っています。

 

【SLS】会社の再生を通じて、価格競争に苛まれないための経営戦略に移行されたのですね。

 

【穴井】そうです。これがきっかけで大量生産による競争路線から、オンリーワンの機能を持った自社ブランド路線へとシフトしていきます。その一環がシニア向けの商品開発だったのです。

 

 

自社工場を武器にするための経営戦略

【SLS】会社再建当時に「これからはシニアを攻める」と聞かされた時は、現場にいらっしゃった穴井さんはどうお感じになりましたか?


【穴井】正直言ってシニアをターゲットにすることに対し、それほど何かを感じるということはありませんでした。ただやるだけだと。
それよりも、工場をフル稼働させたいという思いがありました。

 

【SLS】ここまでのお話からも、久留米の自社工場について強い思い入れを感じていました。

 

【穴井】それには理由があります。実は前述した会社更生法が適用された頃に、工場存続の危機があったのです。
会社は経営再建を目指してスポンサーを探します。
当時、ありがたいことに、弊社の再建のために手を挙げてくださったいくつかのスポンサー候補がありましたが、そのほとんどが「自社工場を手放し、全国にある販売網の活用に重点を置く」ことを再建の条件として提示されました。
しかし、当時の弊社経営陣は自社工場の存続に強く拘りました。その背景には「従業員の雇用を守りたい」という思いがあったからだと思います。
幸いなことに、この考えを強力に進めてくれる管財人が就任され、そこから再建が図られることになりました。

このような経緯の後に残すことができた工場であり従業員ですので、これを何とか自分たちのチカラで最大限に稼働させたいと思いました。
かと言って、無闇にモノを作ればいいというわけではありません。例えば人気を理由にブーツなどの季節需要のある商品などに寄ってしまうと、闇雲にアイテムが増え工場の負担は瞬間的に大きくなるだけでなく、年間の稼働率に偏りが出てしまいます。
工場を健全に維持し続けるためには、年間を通じて平均的な需要が見込める定番商品、つまり安定した「自社ブランド」商品を作ることが最重要課題でした。

 

【SLS】「自社ブランド」路線にシフトした後、工場の稼働率はどのように推移しましたか?

 

【穴井】その後「快歩主義」を始めとした様々なブランドが着々と成長し、今では、アサヒシューズの商製品全体における7割が自社工場による生産となっています。

 

【SLS】国内工場比率が70%というのは、靴メーカーとして比類のない数字なのでは?

 

【穴井】そうですね。珍しいと思います。


次回 : 「独自のプロモーション施策」~「多様なニーズへの対応がシニア攻略の鍵」~「まだある、自社工場生産のメリット」


アサヒシューズ株式会社


 
 
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